高校2年、15歳では無く16歳の僕、多分たいした悩みも無かったこの頃。
18歳まで自分の事を「僕」と言っていたこの頃、20歳を前に「僕」から「自分」と言う様になった。
今回色々と有ったので、自分のやらトラのも色んなアルバム全部引っ張り出して見つけた、ついでに自分の母子手帳まで見つけた。当たり前だがボロボロだよ。実家のママン、よくこんなのとっといてくれて渡してくれたよね。(笑
それはさて置きこの写真、スキャンする為にアルバムから剥いで見たら、
裏面に
「私の気持ちわかって!!」 まこと
って書いてあった。
この写真誰が撮って誰が自分に渡してくれたの~~~
うわ~~~~~~~~~~~そもそも「まこと」って誰~~~覚えてね~~(涙
ここ女子高なんですけど~~~~~~~~~笑えね~~
多分、当時は気づかないでアルバムに貼ったのだとは思うけど、今見ると見ちゃいけないものを見た気がしたのは自分だけでしょうか??
卒業アルバム見て「まこと」を探す勇気も無いし、同学年とは限らないし。。。
後でK子に聞いてみよ。自分が知らない事を親友のK子は色々と知っていたみたいだから、
先日の飲み会でそんな事言ってた記憶が、、、、(泣笑
衝撃的だったお笑いはさていおて
「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」
「大人の僕も、傷ついて眠れない夜もあるけど、苦くて甘い今を生きてる、、、。」
うん、自分は生きている。どんなに身体が辛い時があっても確かに生きて笑って怒ってそして泣いて生きている。
日曜日にお盆前にCDを送った彼の実家にお線香を上げに行って来た。よくよく考えてみれば、一度だけ自分は彼に会っていた。
彼の歌のテープが家に残っていた事がそもそも奇跡に近くて、それほど近しくも無かったトラと自分の二人が20数年も経って彼の実家に行くなんて、何の縁があったのでしょうか?
ご両親もご健在で、弟さんがまだ独身だとおかぁ様はため息混じりに話をされていたけれど、弟さんは本当にご両親を兄の分もと言わんばかりに大切にされている事は哀しいくらいに伝わって来た。
お仏壇の周りには「これでもか!」って思うほど遺品が沢山置かれていた。どうやらCDはまだ聞いていない様子で、やはり同じ遺品でも「品物と本人の声」では微妙に心の置き場が違うのだろう。まだ聞く勇気が無いのだろう、、と自分は思った。何せ20数年も経ってから送られてきた「声」のCD。戸惑うのは当たり前だよね。。。
おかぁ様は訪問をとても喜んでくださって、また来て、困ったことがあったら電話を頂戴ね。と何度も言ってくださった。お父様はとても無口な方だったけど、子犬をずっと抱いてうん、うんと自分たちの会話に相槌を打っていた。
何かの小説の受け売りだけど?「人は2度死ぬ」一度は肉体の喪失、二度目は人の(友人達)の記憶から消え去ってしまう事。だからご両親はあんなにこちらからの訪問を喜んでくださったのだろうと思う。
東北自動車道に入るのは家からだと物凄く大変な道のりで、滞在時間は1時間も無いのに行って帰って来るまで約12時間。
帰りの道のりで、泣き虫な自分はやはり涙が止まらなくて、ずっと泣いていた。頭がぐちゃぐちゃで色んな事が混ざりこむ、なんでこんな役目が自分だったの?
でも、これにもきっと意味があるはず、生きたかった彼の分も頑張って生きるよ。止まらない涙をぬぐいながら泣き続けた。車でよかった、、、、。