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よろず日記??意味無しの毎日
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気が付いたら今日って七夕です。今日って夜晴れるのかなぁ、、、、。
毎年無性に大塚愛のプラネタリウムが歌いたくなる(笑)

ついでに7月入ってからはじめてのブログでご無沙汰です。

7月に入ってからパーティーが一気に暇になったので、ダラダラと鍼に行ってます。

最近は鍼の本数が少ないんだよね~~~先月までは首と言うか喉に3~4本も刺されてた事結構有ったし、首の後ろ右側にも4本位刺されてたけど、今って1~2本位。

毎度毎度若干、場所も本数も違うし、鍼の衝撃に対して身体が慣れてきたと思っていたけど、やっぱりお家に帰ってくると目が開かない、、、、。ぐったりしてます。

そんな訳で、昼間身体が辛い分寝こけてしまって、夜は体調も戻って楽になっちゃうのでやっぱり昼夜逆転してます。

あっと言う間に今年も半分終わってしまって、今年は前半が半端なく仕事も忙しかったもので結構自分でも唖然。(笑

今少しだけ、ゆっくりしている所です。



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鍼治療に行き始めてかれこれ40日経とうとしています。

でも現実に通った日は20日間。しょうがないよね、仕事もあるし身体辛い日も有るし。お金も掛かるし(^^;;

最近では治療から帰って来てから倒れこむ事もなくなりつつあるし、帰り電車で寝こけて八王子迄行っちゃうような事もなくなった。

う~~ん最初はそれなりにやっぱ身体も衝撃受けてたんだよね~~~。

で、コレまで思い切り散財してきた訳だが、一体今どんな感じよ??って事を書いてみようと思う。

1)、夕方過ぎるとつま先が痛みで止まらなかったのが、段々と痛みの強さも回数も少なくなって来たと思う。

2)、気のせいかもしれないが、全く効きもしなかった薬が効いている気がする。

3)、とにかく空腹感が強く食欲が出て居る。でも悲しいかな一向に体重は増えない、増える所か今は更に減って43キロを行ったり来たり。でもね、これは毎日銀座か仕事に必ず出ているせいでもあると言える。ほとんどこの5.6月家にいないもん。しかも通院は満員電車で1.5時間当然だが座れない。銀座に行き着くまでがもの凄く身体に負担が掛かってます。ストレスも半端ない。

4)、自分はとにかく胃腸が弱く。その為昔から朝の通勤がとてつもなく怖かった。朝家を出て最寄の駅に到着するまでに「ぴ~ゴロゴロ」(涙
それが最近は全く無くなって来た。薬が効きはじめて来たのは胃腸が正常に戻って来ている証拠だねと思う。

まぁこんな感じで、鍼で痺れや麻痺どうとかこうとか言う前にやっとこさ、身体が鍼治療を受け止められる土台になってきたって所でしょう(笑

先日撮ったMRIを見たけど、手術した事によって脊髄の空洞は100%全部が消滅する訳ではないが、まぁ影響はありませんからって前に教授に説明受けてたけど、、

今回の映像を素人目で見た限りには前に撮った映像にはしっかり写っていた空洞の名残が無くなっていた様に見えた。
めんどくさいから、わざと教授には鍼治療の事も何も言わないし、空洞の事も聞かなかったけど横からの輪切り画像も立て輪切りの画像もそれらしいモノは見当たらなかった。

鍼の先生曰く、「うん、この鍼治療はね、空洞なくなるんだよ~、たまにねまた空洞が大きくなる事もあるからちゃんとしておかないとね~そりゃ良かった」だそうだ。

まぁ、こんな感じです。ここまで成果出すのに交通費も入れて約30万掛かりました(涙
針治療に行くことになってからと言うもの、、、。

実際は真面目に辛いです。

針を刺された時の痛み。。今すこしだけ恐怖症。
毎日の片道1.5H掛けての通院時間。
そして反動で家に帰ってから倒れこんでしまう事。

仕事が無い時は良いけど、6月も5月とそんなに変わらずに結構忙しいのです。

くじけてしまいそうってのが本音です。でも今は信じて通院してます。

さらっと聞いてみた事。
「脊髄損傷の人って沢山居るんですか?」
「そうですね、結構沢山いらっしゃいます」
「みんな治っているのですか?」
「歩けない人が歩けるようになる確率は半分ですね」

半分って結構な確率じゃない??
でも、あの痛みとか、金銭的なものとか、通院のタイミングなどで、治るものも治せなかった人も沢山居たんだろうな、、、と察する。

何処までで諦めるか?それとも何が何でも歩けるまで頑張るとかは人それぞれだもんね。

結構難しいラインの選択が迫られてる気がする。

自分場合はって言うと。そりゃつま先の痛みが出ない位。足の裏の感覚が正常になる。

右腕胸首の皮膚感覚が正常に戻ってくれるまで。。。。

腰から下の痺れは残っても上記がなんとかなってくれさえすれば、、、、。
そう思ってます。

辛いけど、明日も行ってきます。
淡々と週の半分一日毎に銀座まで針治療に行ってます。

最近は針治療の後自宅に帰ると、反動で身体が辛くてそのまま寝込んでしまう。

この現象は足もみの時もあったのだが、足もみではとにかく血流を良くした結果であり、脊髄そのものに働きかける治療では無い。

でも今回のこの針治療は血流も勿論だが、同時に「確率共鳴」と言う現象がおき、神経細胞の活性化を促しているらしい。

手術してからもう約3年経ってしまってるし、決して若くは無い年齢だから道は険しいのかなぁ~~とか思うけど、待合室ではほとんどが60歳代以上かな~。

たまに若い人も居るけど様子は何だか尋常じゃないモノをいつも感じてる。

先日は突然泣き出し嗚咽しているおばぁちゃん(本当は若いのかもしれないけど病気で老けて見えてる??)が居たり、ほとんどが顔なじみの様になっているみたいでおばさん達のおしゃべりを聞いていると、視神経を攻撃されて居てこのままじゃ失明なのよ~~とか、、、、、。

そんな中に居ると自分は一人飄々としていて、なんで元気そうなあなたがここに居るの??ってアゥェー感が否めない(^^;;

いや~~~こっちだって苦しいんだよ。色々と、、、、、。

財布も痛いし、身体も痛いし、鍼も痛いし、帰宅してからも尋常じゃない痛みが襲って来るんだよ。

ほ~~んと、鍼がとにかく刺される時痛いんだよ、流石に1日置きに行くのシンドイもん。
でもこれ耐えないと治らないんでしょ。我慢比べしてる感じだよ。

先日は終わってエレベータで降りて屋外に出ようとした時にビルの柱に鏡が貼ってあるのだが、それ見て吃驚。

額に血がべっとり、「はぁ?」

確かに頭に鍼を今日は2本も打たれてたけどさぁ。。。。

「ぎゃ~~~~」
タオルハンカチいつも2枚持ち歩いていて良かった。凄い勢いで額の血液をふき取った。

流石に笑えんわ。。。

だが、待合室での皆さんの会話、、、やっぱりここの先生「名医」よね。

皆さんの「名医よね」のお言葉と初診の時の「治りますよ」とあっさり言ってのけた先生を今は信じて銀座まで通います。
ライブの中で千春大先生が言っていたお言葉。

「自分で作った曲(作詞)ってのは意外に忘れるもんだが、人が作ってくれた歌っていうのは忘れない。」

「、、、、、確かにその通り!!」これには笑った。


うん、自分も自分で作った曲(作詞)なんて綺麗さっぱり忘れてる。あんなに練習していたはずなのに、全部で10曲位はあったはずなのに(w

えぇ、なんて言っても最初のBAND「キュール」は自分の「黒歴史」ですから、、、都合の悪いことは早く忘れたいだけかもだけどね(笑

とらは「キュールの曲は今でも全部弾けるよ」ってサラッと言ったけど、バックはギターもベースも好き勝手やってる訳で、破錠さえしなければ、ギターとユニゾンだろうがチョッパーだろうが基本なんでもありだからねぇ、、、と嫌味を言ってみたくなる、何せオリジナル曲なんだから!!

だが歌の詞は流石に適当に変えられないよ、忘れたら最後頭真っ白になりかねない、硬直!(笑

でも「ゆきに」の作った歌(作詞)ってのは沢山覚えている。
二人でライブやった曲は勿論だけど、それ以外の曲もかなりしっかり覚えている。

彼女「ゆきに」は高校生の時から沢山の曲を作っていて、部活以外で新曲出来たぞ~と言っては「自分と親友のK子」の二人を呼び出して沢山のオリジナル曲を歌を聞かせてくれた。自分はその放課後の時間が大好きだった。

ウチの学校は女子高で、彼女はあの容姿もあいまって「学校中のアイドル」だったが、自分にとっては一学年上の部活の部長、それだけの位置づけで最初の一年間はそれほど特別親しい訳では無かった。自分はどちらかと言うと3年生に可愛がられていた。

急接近を始めたのはその一年後、彼女は3年、自分は2年。前回のYoutubeでは想像もつかないかもしれないが、自分はよく「男の子」に間違われるほどの容姿だった。
奇しくも「ユニセックス」的な(ここでは性別が良く分からん的な意味)2人は、こんな女子高なんて場所で会ってツルム様になってしまった(笑

これが良いのか悪いのか?一緒に居るだけで同級生や後輩達からは妙なウワサを流されるような閉鎖的世界の中で、俗に言う「ユリ」とか言う風に受け止められがちだったが、全くちゃうねん、どっちかと言うとお笑い漫才みたい?つ~か「姉と妹」っていうよりも「兄と弟」って方がしっくり来てたよ(w

大体にして、「ユリ」って宝塚みたいに素敵なボーイッシュキャラと可憐なお嬢様キャラで成立するもんじゃ無い訳??←これって偏見??

その後彼女は卒業して東京に行ったが、それからも色々と雑誌などで世間と言うか女子高を騒がせ続け、自分はいつもその騒ぎの収拾お片づけ側に回わざる負えなかった(涙

その仕返し?もあったかもしれないけど、翌年東京に出てきた自分は、メンドクサソーナ男に付きまとわれそうになると「ちゃんと彼氏面して迎えに来て」「ゆきに」を使ってやった(笑


付け足しとして、自分の声は本来は高いソプラノだったのだが、風邪で喉が死んでいる時に、学校で友人に対して激怒して「怒鳴った」それ以来高音も裏声も出なくなり、奇しくも声までがある音域に入ると彼女と近くなってしまった(笑 

僕達はこんな二人だった(笑  

あぁ青春、、、すっぱ過ぎます、、、。
この頃の僕らを象徴するような曲がある、谷山浩子の「窓」

この曲も「ゆきに」とはギターで歌った。
たまに凄く歌いたくなる、あの頃を思い出したくて。
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