とにかく、ひたすらに下半身全体の酷い痺れさらに付け加えれば、くるぶしから下の足、特につま先がどうしようもない、体温の調整が効かないのも最悪で、いつもはそれほど感じる事は無いが、こういう時はもうどうしようもない、熱も全く無いのに、アイスノンが欲しい。寒いのか暑いのか分からない、暑い、寒いの体感の繰り返し、右上半身の痛みも最悪で指先まで痺れが来る
今やっとティッシュもマスクも必要なくなって、久しぶりにPCの前に居る訳だが、う~~んまたぶり返さないうちに寝ないと、、、って今、朝の5:50分(^^;;
仕事以外寝て終わった様な9月です。あぁ、一応9月最初は新潟にイベント行ったけどね。
勿論仕事に行くだけでも辛かった、しかもどうでもいい残業付き、、、、、。
それでなくても仕事以外に家から出ることが物凄く億劫できついのに、よく身体がもったなぁと自分で感心してます。
頭痛も半端なかったし、、本当に風邪には気をつけないとって思ってるんだけどね、扁桃腺が腫れなかっただけ良かったかと思うことにした。
とりあえず、近況はこんな感じです。あ~~なんも意味無い。
自分としてはSENAちゃんに早くフランソワーズのスーツの布とレース等ガッツリ買ってDVDをつけて送っちゃいたいのだが、、、。
今日はまだ一日ゆっくり休もうと思う。
今週の仕事は週末だけだしね。おやすみなさい。
サイズが細めなのに更にアンダーバストからウエストまでを自分サイズで細く直してあるから、誰かに譲るにも無理だよね。
とか思っていたら、この週末9/7新潟のトラの実家近くで「ゆきに」達がLIVEをすると言うので、それじゃ「殿の為に姫」はお花のプレゼンに行くか~~と企み、でも普通のカッコで行ってもしょうがないな(笑)と「わがまま姫」を貫いてやる事にした。
だがかつての「姫キャラ」を演じ貫くにはやっぱ派手なドレスが必要!
何せかつてのBAND関係の知り合いもある程度は会っちゃうもんね。出来れば会いたくないやつとバッタリってのだけはいや~~だ~~~~。
そんなこんなで、チャイナドレスは膝上の丈にバッサリ切り落とし、洋風ドレスにリフォームした。パニエも着るから派手にスカート部分が広がって、洋裁なんて出来ない自分が無理矢理つくっちゃった割にはまぁ許せる範囲、細かいことは気にしない。どうせ誰もスカートの皺の寄り方まで見ちゃ居ないから(笑
本当は今写真を載せたいけど、ブログ誰が見てるか分からないからね。って事で月曜日以降にUPします。
さっき「ゆきに」のブログ見たら、出演者が載っていたけど、
「え~~~~~、こんなに出演者がいっぱい居るの??」に吃驚した。
13組!そりゃ、各BAND3~4曲が限界だよな~
かつて「ゆきに」と「殿と姫君」って言うコミックバンドじゃねぇ!真っ当なアコースティックデュオをやっていた時にオリジナル曲の「祈り」と言う歌を歌った。
この歌を今回はSENAちゃんが歌ってくれる。彼女は以前からこの歌を自分にくれと言っていたほど思い入れがある歌らしい。彼女は本当に凄い歌唱力だ!アマチュアでいるのが勿体無いと思う(トラも同意見)彼女の紡ぎ出すこの歌が、声が、今から楽しみで仕方ない。
「祈り」はとても悲しい歌、とても重い歌、人の救いは何処に有るの?それでも人は祈ることしか出来ない、祈る??一体誰に?何に?
曲に乗せてしまうとあまり気が付かないが、本当に重い曲なのだ。
本当に冷静に歌詞を読むと結局救いなんか無いじゃん殿!と思ったよ。
SENAちゃんのあの歌唱力だ、感情豊かにきっと心に染み渡ることだろう。。
殿と姫君の「祈り」はスライドショーにする為に只今絵を作成中だ、色々とやる事が重なったので遅くなってしまったけど(CDジャケットとか~ドレスとか)でもちゃんと作るからその時はここにUPするんで聞いて欲しいなって思います。
高校2年、15歳では無く16歳の僕、多分たいした悩みも無かったこの頃。
18歳まで自分の事を「僕」と言っていたこの頃、20歳を前に「僕」から「自分」と言う様になった。
今回色々と有ったので、自分のやらトラのも色んなアルバム全部引っ張り出して見つけた、ついでに自分の母子手帳まで見つけた。当たり前だがボロボロだよ。実家のママン、よくこんなのとっといてくれて渡してくれたよね。(笑
それはさて置きこの写真、スキャンする為にアルバムから剥いで見たら、
裏面に
「私の気持ちわかって!!」 まこと
って書いてあった。
この写真誰が撮って誰が自分に渡してくれたの~~~
うわ~~~~~~~~~~~そもそも「まこと」って誰~~~覚えてね~~(涙
ここ女子高なんですけど~~~~~~~~~笑えね~~
多分、当時は気づかないでアルバムに貼ったのだとは思うけど、今見ると見ちゃいけないものを見た気がしたのは自分だけでしょうか??
卒業アルバム見て「まこと」を探す勇気も無いし、同学年とは限らないし。。。
後でK子に聞いてみよ。自分が知らない事を親友のK子は色々と知っていたみたいだから、
先日の飲み会でそんな事言ってた記憶が、、、、(泣笑
衝撃的だったお笑いはさていおて
「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」
「大人の僕も、傷ついて眠れない夜もあるけど、苦くて甘い今を生きてる、、、。」
うん、自分は生きている。どんなに身体が辛い時があっても確かに生きて笑って怒ってそして泣いて生きている。
日曜日にお盆前にCDを送った彼の実家にお線香を上げに行って来た。よくよく考えてみれば、一度だけ自分は彼に会っていた。
彼の歌のテープが家に残っていた事がそもそも奇跡に近くて、それほど近しくも無かったトラと自分の二人が20数年も経って彼の実家に行くなんて、何の縁があったのでしょうか?
ご両親もご健在で、弟さんがまだ独身だとおかぁ様はため息混じりに話をされていたけれど、弟さんは本当にご両親を兄の分もと言わんばかりに大切にされている事は哀しいくらいに伝わって来た。
お仏壇の周りには「これでもか!」って思うほど遺品が沢山置かれていた。どうやらCDはまだ聞いていない様子で、やはり同じ遺品でも「品物と本人の声」では微妙に心の置き場が違うのだろう。まだ聞く勇気が無いのだろう、、と自分は思った。何せ20数年も経ってから送られてきた「声」のCD。戸惑うのは当たり前だよね。。。
おかぁ様は訪問をとても喜んでくださって、また来て、困ったことがあったら電話を頂戴ね。と何度も言ってくださった。お父様はとても無口な方だったけど、子犬をずっと抱いてうん、うんと自分たちの会話に相槌を打っていた。
何かの小説の受け売りだけど?「人は2度死ぬ」一度は肉体の喪失、二度目は人の(友人達)の記憶から消え去ってしまう事。だからご両親はあんなにこちらからの訪問を喜んでくださったのだろうと思う。
東北自動車道に入るのは家からだと物凄く大変な道のりで、滞在時間は1時間も無いのに行って帰って来るまで約12時間。
帰りの道のりで、泣き虫な自分はやはり涙が止まらなくて、ずっと泣いていた。頭がぐちゃぐちゃで色んな事が混ざりこむ、なんでこんな役目が自分だったの?
でも、これにもきっと意味があるはず、生きたかった彼の分も頑張って生きるよ。止まらない涙をぬぐいながら泣き続けた。車でよかった、、、、。
PC部屋、暑いもん(^^;
仕事以外は毎日涼しいリビングでゴロゴロと転がってばかりなのに、なんで体重増えないかなぁ?
、、、、
それは自分には「物を食べないと人間は生きていけない」と言う本能が少しばかり欠如してるから(笑
そんな自分に、トラもアオタも持って来る持ってくる。
いわゆる「身体が弱っている時に飲むもの、肉体疲労時の強壮剤」ですな(笑
トラは薬局やさんなので、色んなモロに現物サンプルを持って来るのは分かるが、何故アオタ??
どうやら社長の奥さん?が今凝っているらしい(--;;;
そんでもって、「身体に良いから従業員に飲ませろ&配れ」と言うことらしい。
がしかし、トラは一目見て「あ、これは俺飲めないやつだ」
「みつぐは飲んでも大丈夫だと思うけど」
前に会社でサンプルが配られたそうで、それを飲んだら頭が妙にクラクラして、最初3日位は何が原因なのか分からず風邪かなんかと思ったらしいが、4日目にそれを飲むことをやめたら何とも無くなったのそうだ。
トラにはこれ以外にも飲めないモノが結構有る、たとえば鎮痛剤に入っているイブプロフェンだったっけか?知らずに飲んだら呼吸困難を起こし夜中に大騒ぎを起こして近くの救急病院に車で連れて行った。今は全く正常だが小さい時に気管支炎持ちだったらしい、今は症状として出てこないだけでそれが薬によって呼び起こされてしまうのだ。
なので、鎮痛剤はロキソニンの様な物を選ぶ。全く持ってめんどくさい奴だ。
物凄く怖い話だがでもコイツどうやってもタバコはやめないらしいので、同情なんかする気もない。
基本的にアレルギー無い体質で良かったと思う今日この頃です。
そんな気持ちも有り、お陰さまでここ何年もお盆休みといわれる時期に新潟に帰る事なんて無い。
今年は特に「引きずられている」自分を感じる。
トラのかつてBAND仲間だった「彼」のご両親に多分最後であろう「彼」の遺品を無事に渡せた事も一因している。CDとジャケットを作りながら何度も泣いた。
アオタの友人が先日突然にたった17歳と言う若さで事故でこの世を去った。母親が彼の携帯から連絡を入れてくれたのだ。悪い冗談かと思ったでもそれは真実で今月末大阪にアオタは行って来る。
5歳年上の従姉妹が病気で姉と二人で病院に最後のお別れに行ったのも8月だった。
彼女の一番下の息子は母親の記憶はない。
自分にとても優しかった義父が亡くなったのも8月だった。
義父は最後に自分に会いに来てくれた。霊感の全く無いと思われるこの自分が唯一強く感じた「霊的体験だった」夜中に自分以外誰も居ない部屋、義父の容態が悪いと言う知らせを受けて、翌日朝には帰郷する予定になっていた夜の事である。夜中の1:00頃帰郷する為の準備を一人淡々としていた。誰かが玄関先から自分を見ている、何度も何度も視線が気になって振り向く。誰も居るはすが無いのに。でも誰かが居るそれだけははっきり分かった。でも不思議と怖さはなかった。
後で義母が言った。丁度その時間帯から義父は意識を失ったのだそうだ。
義父は「娘」をとても欲しがっていたと義母や親族が言っていた。だから最後にお前に会いに行ったのだろうと義母がつぶやいた。
トラには7歳年上の兄が居る、自分とは義兄も義姉も10歳も年が離れている。
義父にとって義姉は「嫁」だが、自分は「嫁と言うよりも娘に近い」存在だったのだろうと思う。
8月は死の臭いが自分に付きまとう。既に自分の中で消化されていた事さえも思い出させる。
今年は特に辛くって、我慢が出来なくなって高校の時の友人に電話を掛け30分泣き喚いた。
彼女は「うん、うん、泣いて良いんだよ、生きてる人間しか泣いてやる事が出来ないのだから」
彼女は優しかった。